おぷ2速報

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正義の味方ってさー 

660 :Mr.名無しさん:2012/05/20(日) 22:12:18.17
姉「正義の味方ってさー」
俺「なんだよ藪から棒に」
姉「“正義”の味方であって本人が正義じゃ無いんだねー。」
俺「まあ言わんとする事はわかるが。」
姉「だから友人がその“正義”に反してたら、本人がいくらその友人の味方をしたくても敵になるわけだ。」
姉「それがカバでもジャムでもバターでも。でも割り切れないから胸の傷が痛むんだよ。
  そりゃなんのために生まれるかわからなくなるし愛と勇気しか友人と呼べなくなるわ。」
俺「わけ分からんがとりあえず、アンパンマンを深く?考える奴はいないと思うぞ。」

稀によく分からん持論を展開するうちの姉。ワリと天然。
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  • あなたの言っていることがわかりません 

    855 Trader@Live! 2012/05/21(月) 04:22:27.94 ID:l6mC7QBf
    Q.あなたの言っていることがわかりません
    (    ) do you (    ) ?

    正解 (What) do you (mean) ?
    娘の解答 (Sore) do you (imi) ?


    どうやら、娘(中2)の才能はオレ譲りらしい(´・ω・`)
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  • 父親は週末いつも家に帰らずゴルフ 

    414 名前:名無しさん@HOME[] 投稿日:2009/07/29(水) 15:15:46 0
    父親は週末いつも家に帰らずゴルフゴルフゴルフ
    遊んでばっかりのようだったが特に生活に困ってるふうではなかった
    私はそのまま反抗期を向かえゴルフ大嫌い人間に育った

    最近、友人に自分の親の名前を言ったら「もしかしてプロゴルファーのXXXXさん?」と言われ
    ネットで父の名を調べてみたらそこには父親の顔が・・・
    まさかプロゴルファーだとは思わなかった
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  • 漢字の読みを書け 

    4 名前:ななしのいるせいかつ[sage] 投稿日:2008/11/05(水) 09:17:00
    漢字の読みを書け
    大西洋

    答え:おおにしひろし
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  • いい年こいてスーパーボール 

    7 名前:VIPがお送りします :2012/05/05(土) 10:24:13.37 ID:0fD3p2M60
    先週、デパートのバラエティグッズ売り場で、5人くらいで遊んでる男子高校生っぽいのを見かけたのよ。
    髪染めたりピアスとかはないんだけど、普通にリア充してそうな奴らだった。
    そいつらは売り物の大きなスーパーボールを店の床で弾ませて遊んでたわけ(割とDQN行為かも)。
    そんな時1人が、
    A「これ学校でやったらマジ楽しそうだよなwwww」

    するとDK特有のテンションで

    B「昼休み時間潰せるwwwうはww」
    C「それいいなww」
    D「ウホホーイwww」
    とかめちゃくちゃ盛り上がってた。
    そんな中、5人組の中で一番静かで頭よさそうなメガネくんもテンション上がってきたらしくて、
    メ「じゃwwじゃあwwwこれ1人一個買っちゃおうwwwwそうしようwww」

    シーン

    D「いや・・・流石に買いはしねぇよw」
    A「うんwwいい年こいてスーパーボールてwww」

    メガネ以外の四人、スーパーボールを売り場に戻し始めた(´Д` )

    B「上の階行こうぜーシャーペンみてえから」
    移動を始める四人
    あわててスーパーボールを戻すメガネくん
    俺はカワイソスと思いながら彼を見守ってたんだけど、
    メガネくんが俺の横を通る時に
    「机上の空論か・・・」と呟いて思わず吹き出してしまったww
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  • 船越英一郎 パパと初めて呼ばれる 

    423 :名無しさん@恐縮です 2012/04/27(金) 12:48:04.34 ID:hqshHFY+0
    >>176
    確か、船越に対してヒステリーを起してるときに、息子がそう言ったんだよね。
    松居棒は、その話を「旦那と連れ子の仲良しエピソード」として話していた。
    あと、息子が初めて船越を「パパ」と呼んだのは、
    松居棒が船越の携帯電話に女性スタッフのメモリを見つけて、
    携帯を鍋に入れたときに息子が船越のとこへ走って行って、
    「パパー! ママが携帯電話煮てるよー!」って叫んだときだと。
    そして、やっぱり「ほのぼの話」として披露していた。

    どちらも、いつ、どの番組で見たかも憶えていないけど、強烈過ぎて忘れられない。
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  • 私の祖父は無口で頑固で本当に怖かった 

    405 名前:水先案名無い人[] 投稿日:03/07/20(日) 22:17 ID:l3uGBttl
    私の祖父は無口で頑固で本当にこわくて
    親戚中が一目置いている人でした。
    家に行ってもいつもお酒を飲んでいて
    その横で祖母がせわしなく動いていた記憶があります。

    私が結婚する事になり、ドキドキしながら主人を連れて行くと
    ずっと黙ったままやっと口を開くと
    「ビールは何を飲むんや?」でした。
    その日はなんとか無事に終わり、式の当日終始酒をつぎにまわってた。
    その後、子供が生まれ少し育児ノイローゼ気味になった私を見て
    なぜか毎日孫の世話をしに来るようになった。
    当然子供の面倒など見たことないので、する事がめちゃくちゃで
    イライラしていた私は嫌味ばかり言ってしまった。

    2ヵ月後、あまり調子がよくないと言っていた矢先他界した。
    なんでもっと優しくしてあげなかったんだろう?
    紙オムツの仕方を聞かれて、それぐらいわかるでしょって
    なんで冷たく言っちゃったんだろう?
    あの日、自分でどうにかしようと思って変な形になったオムツが
    残されてた・・・
    その後、毎日つけていた日記が見つかり、式の当日
    「あのバカ娘がとうとう嫁に行った。最後の挨拶では涙が出た。
    幸せになれ。」って書いてた。
    おまけに家には主人があの日答えた「アサヒビール」が
    押入れいっぱい詰められていた。
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  • お爺ちゃんの思い出 

    お爺ちゃんの思い出

    491: 04/26 12:51
    皆さんのお話を読み、俺が高校生の時に逝った爺ちゃんの事を思い出しました。
    乱文かと思いますが綴らせてもらいます。

    俺は爺ちゃんにとって4番目の孫でしたが他の孫達は皆地方に住んでいて、自営業の寿司屋を継いだ親父の子である俺を爺ちゃんは内孫として特に可愛がったそうです。
    でもまだ俺が小さい頃は、爺ちゃんが苦手でした。


    小学生の時、俺は少年ラグビークラブに通っていて毎週日曜日の練習後は仕事で迎えに来れない両親の代わりに爺ちゃんが迎えにきてくれました。
    けど昼飯でたまにファミレスなんかに入ると爺ちゃんは昭和初期からの職人気質で(寿司屋の板前です)中々届かない料理にウエイトレスを度々呼んではいつも怒っていました。
    その時の爺ちゃんは子供ながらに怒らせちゃいけない存在なんだと思っていました。

    ある時、赤いファイアーパターンが自慢のMTBを爺ちゃんが勝手に真っ黒に塗ってしまったことがありました。爺ちゃん曰く、
    『赤い自転車なんて女の子の乗り物だぞ!』
    らしく、流石に両親に泣き喚いて親父が爺ちゃんをこっ酷く注意したそうです。
    普通の祖父なら新しい自転車を買うのかもしれません。けど爺ちゃんは俺を地元の馴染みの喫茶店に連れてってこう言いました。
    『俺が死ぬまでお前は此処でアイスくりぃむ食べ放題だぞ!』
    あの恐い爺ちゃんがアイスって、可笑しかったのを覚えています。
    いつも額に皺を寄せて恐い顔をした爺ちゃんでしたが甘いモノは大好きでその間だけ笑顔になるのが俺自身とても嬉しかったんです。
    それと癖なんですが俺は小さい頃から皺などの柔らかい部分を撫でるのが好きで爺ちゃんに逢った時はよく顎下辺りを撫でさせてもらいました。
    この時も爺ちゃんは嬉しそうに笑ってくれたんです。



    492: 04/26 12:55
    中学に入る頃、爺ちゃんは足を怪我して歩かなくなりました。
    家族に甘えていたんだと思います、リハビリをしっかりすればまだ歩ける可能性はあったのに爺ちゃんは全然リハビリを受けませんでした。
    日に日に身体も衰弱し、入退院を繰り返しました。
    俺自身、中学生になってからは色々忙しくなり、あまり爺ちゃん家にも顔を出さなくなりました。
    高校の入学式、久々に爺ちゃん家に行った時には爺ちゃんは身体も小さくなり、一歩もベッドから出れない状態になっていました。
    自宅療養を願い、もうあまり時間も無いと医者も言ったので週2でヘルパーを頼み、婆ちゃんと一緒に介護をしていました。
    あまり喋ることも出来なくなっていて名前を呼ぶのが精一杯という感じです。
    それでも爺ちゃんの好きな苺ジャムパンやアンパンなんかを持っていくと爺ちゃんは笑顔になって顎下を指で指してきました。
    俺はやるせない気持ちで爺ちゃんの顎下を撫でました。
    もっと、もっと撫でてあげたかったよ、爺ちゃん。

    春、爺ちゃんの好きな桜が咲いた日の夕方、爺ちゃんは天国に逝きました。
    親父に呼ばれて急いで駆けつけて、死に目には逢えませんでしたがその顔はうっすらと、口端を上げて笑っていました。
    婆ちゃんが泣きながら俺の手を握っていました。とても、とても強く。
    皆で身体を拭いてあげました。
    上着を脱がして背中、胸、腕…。俺の番になりました。
    その時、初めて俺は涙を流しました。嗚咽も無く、ただひたすら涙だけが頬を伝っていました。俺は握ったタオルを顎の下にもっていきました。
    皆が泣きました。俺がその部分を好きだというのは皆知っていました。
    俺は涙で前が見えないのにゆっくりと、優しく、あの柔らかい部分を撫でてあげました。
    まだ暖かく、爺ちゃんの顎下はとても柔らかかったです。
    葬式は自営業の店で上げる事にしました。戦後の焼け野原から築いた場所で還してあげたかったんです。白袴も断りました。
    生前爺ちゃんのお気に入りだった茶色のジャケットとストライプの入ったパンツを履かせてあげました。死化粧を施してジャケットを着こなした爺ちゃんは、あの頃の元気な爺ちゃんに戻ったようでした。

    493: 04/26 12:56
    沢山の人が通夜に来ました。親戚、近隣住人、数少くなった友人達、若い頃世話になったというヤクザ者まで、本当に沢山の人が集まりました。
    遺影はまだ爺ちゃんが元気な頃に撮ったと思われる写真が使われました。
    どうも爺ちゃん自身が用意していたものらしく棚に封筒で包んでしまってあったそうです。ただ何故か荒画質の荒さが目立っていました。
    それでも爺ちゃんの表情は、俺の大好きだったあの笑顔でした。

    それから数日後、後片付けをしていたオカンから電話があって爺ちゃん家に行きました。するとそこには涙を流したオカンと婆ちゃんと親父がいました。親父が俺に何かを差し出しました。
    『見てみろ、お前が、あの爺さんの笑顔を作ったんだ』
    俺は差し出されたものを見ました。写真のようでした。
    ジャケットを着た爺ちゃんが写ってました。袴を着た幼い俺が写っていました。
    俺の七五三の写真でした。爺ちゃんの顔の部分に印がついていました。

    遺影に使われた笑顔は、俺の七五三で笑った笑顔でした。

    俺は写真を見た瞬間、初めて人前で声を上げて泣きました。
    息が出来ませんでした。息の仕方も忘れてただ泣きました。
    婆ちゃんが抱きしめてくれました。オカンが手を握ってくれました。

    爺ちゃん。俺、出棺の時コンビ二に走ってジャムパンとアンパン買ってきたんだ、天国で売ってるなんて限らないからさ。
    爺ちゃん。あの後、喫茶店に行ったんだ、爺ちゃんと一緒に食べた同じ席に座って同じ抹茶アイスを2つ頼んでさ、美味かったろ。
    爺ちゃん。最後、あまり行けなくてご免な、優しくない孫でご免な。
    爺ちゃん。それでもあんたは、最高の爺ちゃんだったよ。
    爺ちゃん。本当に、本当に、有難う。
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  • 高齢出産だった 

    55 :名も無き被検体774号+:2012/05/09(水) 00:18:09.09 ID:cmISSP+e0
    俺の母さんの話もしたくなったけど誰か見てくれたら嬉しい。

    母が死んで今日で一年とちょっと。高齢出産だったこともあって、
    俺の同年代の友達の親と比べると明らかに年くってた。
    俺が「なんでもっと若く生んでくれなかったの!?」と責めたこともあった。
    俺が思春期のころとにかく心配性な母がうざいのと、親父には恐くて
    何も言えなかったから何でもかんでも
    母に当たってた。たくさん文句言って寝ようと自分の部屋に入ったとき
    母のすすり泣く声が聞こえたときは自分の不甲斐なさに気付き俺も泣いた。


    お母さんが死ぬ時っていつか来るってわかってた。
    でも気付いてからは遅いんだよね。そんな俺も今年で23才になる。
    20才を迎えたくらいから親孝行したいなって思って
    高齢出産だった母に孫の顔を見せてあげたいなって思ってた。
    それで、先月生理来ない彼女が病院行ったら子供が出来てたよ。お母さん。
    無事に生まれてくれたらいいな。
    俺を生んでくれてありがとう。高齢出産だったから辛かったろう。
    でも孫の顔見せてあげたかったな。抱かせてあげたかったな。
    でももうお母さんの笑顔見れないんだよね。あの笑い声ももう聞けないんだよね。
    でも俺少しは一人前の大人になったよ。学歴も無いし給料安いけど
    ついに家庭を持つよ。こんな幸せなことってなかなか無いよね。

    俺の子供にはお母さんからもらった優しさを少しでも分けてあげたい。
    休みの日は子供といっぱい遊ぶ。俺が小さい頃のお母さんよりは
    動けると思うよ。なんたってまだ俺若いからね。

    お母さんが死ぬ前日に俺に言った言葉。
    「今日はお風呂入ってもう寝なさい」
    あの時寝なきゃ良かったな。今でも思うよ。一晩中話しとけば良かったよ。
    なんで死んじゃうんだよ。お母さん。もっといっぱい甘えとけば良かった。
    もっといっぱい話したかった。旅行に連れて行ってあげたかった。
    それで美味しい物いっぱい食べさせてあげたかった。
    次の日冷たい体に抱きしめても、声かけても何も返って来なかったよ。
    お母さん、天国から俺の事見える?
    俺の事もう心配しなくていいからね。子供の名前何にしようかな。
    お母さんだったらどうする?明日仕事休みだから彼女とお墓参り行くよ。

    最後に生きてるとき言いたかったけど言えなかった言葉。
    「お母さん、生んでくれてありがとう」
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  • 某チェーン店の美容院 

    41 :その1 :03/03/07 00:40 ID:S2PDadTO

    俺自身が味わった不幸や悲しみとかでないので
    なんだか微妙にスレ違いかもしれないが
    どうしても吐き出したかったのでさせていただく。

    半年前、友達の薦めで某チェーン店の美容院に行ったの。
    外観も接客も明るい雰囲気でとても良い感じだった。
    ふと車椅子で深く帽子をかぶった女の子(おそらく12.3)
    が連れの人と一緒に来店した。
    飛び込みだったらしく、しばらく待たされたあと
    彼女は店内に案内され、何人かの美容師達の手によって
    椅子に映ったところまでは良かったのだが。

    帽子を外すと、そこには薬か何かの影響なのか、
    パサパサの髪に、ところどころ抜けてしまって
    とてもカットやカラーができるような頭じゃなかった。
    その場の空気も一瞬凍ったと思う。
    そして奇異の目を向けてしまったかもしれないそのときの
    俺にはほんとアホ、としか言いようがないのだが。
    彼女自身、なんだかつらそうな顔をしていて、
    どうやら連れの女の人(母親という感じじゃなかった。看護婦?)
    が半ば強引に連れてきた感じらしい。
    そうしたら奥の方から年配の男性(40くらいかな)
    が出てきたのね。
    その人がやたら陽気で、ガハガハ笑うような、
    ほんとに美容師なのか、と問いただしたくなるようなオッサン。



    42 :その2 :03/03/07 00:44 ID:S2PDadTO

    で、オッサンが女の子に
    「絶対きれいにするから、ばっさり切っちゃってもいいかな?」
    と聞いたの。
    俺は内心、髪の毛抜けちゃったりして傷ついてるみたいなんだから
    そんなに切ったら良くないんじゃないか、なんて思っていた。
    もう、自分の頭よりもそっちが気になっちゃってしょうがなかったんだけど(俺はパーマだったんでしばらく時間がかかったので)

    そりゃあもう、出来上がりには驚いた。
    ものすごいショートにして、その毛先もなんだかクルクルして
    俺が書くとなんだかおばさんの髪型か、と想像されちゃうかもしれないけど、なんていうか、雑誌とかでよく見るモデルみたいな
    髪型で。
    パーマもカラー剤も使ってないのに大変身だったの。
    もうぜんぜん前と違うの。

    で、なにより違ったのはその子の表情なわけ。
    仕上がりをみてものすごいにこにこしちゃって。
    ちょっとやせてたけどすごい可愛い子だったってのがわかった。
    最初はあんなに無口だったのにもうオッサンのバカみたいな
    しゃべりにいちいち大笑いしててさ。
    もうその美容院の中がほんわかムードだよ。
    美容師ってホントすごいな、と思った。
    一緒についてきてた人もすごい感謝していて。
    俺もその日はなんだかとてもいい気分で、いい美容院を見つけた
    とおもいながら帰ったんだけど。



    43 :その3  ラスト :03/03/07 00:49 ID:S2PDadTO

    先週またその美容院に行ったのね。
    その日の施術もとどこおり無く終わって、
    さあ支払いだと言うときに、この美容院次回の予約ができるので
    それをしようとしたの。
    そうすると顧客ファイルみたいなのを開いてチェックするんだけど。
    俺の後がその例の女の子のファイルだったわけ。
    その子があのあと毎月予約をしてはキャンセルしていたらしい印の
    後と(時間が記入されてはバッテンがついていた)
    俺の行った日の三日くらい前の日からずーっと黒い太い線が
    引かれていたのを見たときに(それも、誰かが悲しくて書き殴ったかのような線で)
    急に不安な気持ちになった。
    普通、美容院変えるとしても連絡なんてしないし、
    もう行きませんなんてわざわざ伝えるなんてしない。
    ああ、これは、とちょっと悟ってしまった。

    俺の勘違いで、引っ越しだとかなんかそういう理由で
    これなくなったんだと思いたいけど、
    そのオッサンが黒いスーツパンツで仕事をしてるのを見てしまった。
    あのときの表情とか笑い声とかすごいフラッシュバックして
    帰り道に号泣してしまった
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  • お母さんは大丈夫 

    257 名前:彼氏いない歴774年 sage 投稿日:2009/11/16(月) 10:40:14 ID:5UjHSj0v
    バスの中で、10歳ちょっとくらい?の子供と30代くらいの美人なお姉さん
    (最初お母さんかと思ったけど違った)
    子供が椅子の背凭れ睨みながらボタボタ泣いてる
    その背中をお姉さんがトントンってたたきながら

    姉「大丈夫。大丈夫。お母さんは大丈夫。大丈夫」

    って言い続けてる
    あんまり低い声で真剣な顔で言ってて、事情がありそうだったんで
    バスの中がシーンとしてた

    子「お、」
    姉「大丈夫」
    子「俺どうなんの」
    姉「お母さんは大丈夫」
    子「ダメかも、もうダメかも、だって皆、ダメって言ってたし、」
    姉「大丈夫」
    子「お母さん死ぬ?俺一人になる?」
    姉「どうしようもなくなったらおばちゃんがお前一人くらい育て上げてやる。
      だからお母さんは大丈夫ってだけ考えときなさい」
    子「俺居たら余計嫁に行けなくなるよ」
    姉「うっさい。居なくても行けてないんだから居たって一緒です。お母さんは?」
    子「……」
    姉「お母さんは?」
    子「大丈夫」
    姉「うん」

    二人がバス降りるとき()総合病院前だった、
    運転手さんが「お母さんは大丈夫」って言ってあげたのを期に
    バスの皆が「大丈夫!」「絶対大丈夫!」って言ってた
    私も言ったし、お母さんがどうしたのかわかんないけど
    大丈夫であってほしいと思った
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  • トイレットペーパーで鼻をかんだんだが  

    トイレットペーパーで鼻をかんだんだが

    1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/17(水) 03:04:49.03 ID:rYJQQUix0
    もうやだ

    死にたい


    5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/17(水) 03:05:58.37 ID:IiWf+uNaO
    つまんね^^;

    9 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/17(水) 03:08:47.11 ID:rYJQQUix0
    テンパりすぎて言葉足らずすぎたなー

    うんこする
    ケツ吹く
    寒すぎてくしゃみ
    何を思ったか手に持ってる紙で鼻をかむ
    悶絶←今ここ


    まじ死にたい


    12 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/17(水) 03:11:45.98 ID:JvCBN9im0
    想像以上のアレだった
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  • 土曜日、一人娘の結婚式だった 

    360 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/03/12(水) 10:30:53
    土曜日、一人娘の結婚式だったんさ。

    当時俺25歳、嫁33歳、娘13歳。
    まぁ、要するに嫁の連れ子だったんだけど。
    娘も大きかったから、多少ギクシャクしながらも数年過ぎた。
    子供はあえてつくらなかった。
    収入の問題もあったけど、娘の気持ちを考えたら、
    子供は娘1人いればいいって事になった。

    突然嫁が交通事故で逝った。
    娘17の時。
    突然2人きりになった&現実味がなくて二人して呆然。
    これからどうしようと思った。
    生活の面では収入も安定してたし、娘も家事の一通りは出来た。
    何の問題もないはずだったけど、嫁側親戚が騒ぎ立てた。
    そらそーか。
    血の繋がらない29の男と17の女。
    ある意味カップルでもおかしくない歳の差だもんな。
    「あなたはまだ若いんだから」とか、
    「再婚するにも子供がいちゃ・・・しかも自分の子供じゃないのに・・・」
    とか、散々言われた。
    でも、俺は間違いなく娘は俺の娘だと思ってた。
    何よりも、嫁のたった一人の忘れ形見だ。
    俺が育てて行く以外の選択肢は全く頭になかった。
    そんな親戚の騒ぎは右から左に流した。
    娘も「今更こんな足の臭いオッサンとどーにかなるかw」と笑ってた。
    当たり前の様に言う娘の気持ちが嬉しかった。


    92 :名も無き被検体774号+:2012/05/10(木) 11:37:00.14 ID:fiuFu2Zni
    やっぱり影であらぬ噂を立てられた事もあった。
    三者懇談や進路面談で学校に行くと、必ず教師に変な顔をされた。
    部活で遅くなった娘を迎えに行って「お宅の生徒が円光をしている」と
    近隣住民から学校に通報された事もある。
    それでも2人で暮らして来た。
    再婚なんか考えた事もなかった。
    それくらい娘には穏やかな、幸せな時間を与えてもらってた。

    娘に話があると言われた。
    「結婚したい人がいる。」と。
    娘は25になってた。
    俺が嫁と結婚したのと同じ歳。
    正直複雑な心境だった。
    次の日曜に相手の男に会った。
    娘を見る目が優しかった。
    こいつなら大丈夫だと思った。
    安心した。
    諦めもついた。(笑)

    あっという間に披露宴だ。
    「お母さんが亡くなった時、本当にどうしようかと思った。
    お父さんはまだ若かったから、私がいたら絶対に足枷になると思ってた。
    だから、これからも一緒に暮らすのが当たり前みたいな態度でいてくれたのが
    本当に本当に嬉しかった。
    私のお父さんは、お父さんだけです。
    今まで本当にありがとう。
    お母さんが亡くなってからも、今までずっと幸せな子のままでいられたのは
    お父さんがお父さんだったからです。」
    娘がしゃくりあげながら読む花嫁からの手紙を聞いてたら
    バージンロード一緒に歩いてた時点で必死で堪えてた涙がどっと溢れた。


    93 :名も無き被検体774号+:2012/05/10(木) 11:37:28.07 ID:fiuFu2Zni
    娘が出て行く前に、箪笥の引き出し一つ一つに
    「ぱんつ」「しゃつ」「とれーなー」「くつした」とか書いた紙をはっつけていった。
    そこまで俺自分で何も出来ない父親かよwww
    しかも平仮名www
    近いうち娘に良く似た孫とか出来ちゃうんだろうな。
    そんで「俺まだじーちゃんとかいう歳じゃねーし」とか言っちゃうんだろうな。
    俺、間違ってなかった。
    大変だったけど、父親って立場、選んでよかった。
    嫁と結婚して良かった。
    娘の父親になって良かった。
    1人になって部屋は何か広くなっちゃったけど。
    微妙な抜け殻感は否めないけど。
    今度はいつか生まれて来る孫の為に頑張ってみようかな。
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  • 【長編】 一昨日妹が死んだ 

    1 :Mr.名無しさん:04/06/01 20:33
    一昨日妹が死んだ。
    居眠り運転の車にはねられての事だった。
    まだ23歳と若く、これから楽しい人生が待ってたはずなのに。

    小さい頃両親が交通事故で無くなり、兄妹離れ離れで暮らさなければ成らなかった。
    生活能力の無い俺達にとって、それはごく当たり前の事だったと思う。
    俺は17歳、妹は12歳だった・・・・。

    俺は父親方の親戚に引き取られ、妹は母親方の親戚に引き取られていった。
    2人とも引き取られたのは良いが、やはり他人が家に来ると言う事は受け入れがたい部分も有ったのだろう。
    俺はそれ位の事は重々承知している。

    ただ12歳と幼かった妹にとっては非常に辛かったと思う。
    俺は何とか我慢をして生活していく事は出来た。
    ある日、妹は親戚を盥回しされているんではないかと、俺の親代わりの親戚が話をしているのを聞いてしまった。



    10 :1:04/06/01 20:47
    いてもたってもいられず、その親戚の家に電話をしたら、もう他の家に預けたと言う。
    俺がその親戚に「何でちゃんと見てくれないのか?」と問いただしたら、「大人には大人の事情がある!」その一言で片付けられてしまった。

    そう言われた俺は、ただただ悔しくて悔しくて泣いた。
    自分の無力さを恨んだ。
    両親が交通事故で亡くなり、唯一の肉親がたった一人の妹だった。
    そんな妹を毎日毎日「泣いてはいないか?」「元気にしてるのだろうか?」と思っていた。

    そして俺が高校を出て就職し、21歳で一人暮らしを始めたときに妹に「俺の借りているマンションに一緒に住まないか?」と言ったら、妹はすんなりと受け入れてくれた。
    そして一緒に住むことになった夜に、これからとこれまでの生活の事を話し合った。
    妹はやはり親戚の家ではあまり良くない扱いを受けていたそうで、俺の申し出を聞いた時、嬉しくて泣いていたと言う。
    やっとこの生活から解放されるんだと。



    31 :1:04/06/01 22:06
    それからの俺の生活は大変だった。
    お金が無く公立高校にしか行かせてやれなかったが、普通に高校生として生活させてやりたいと、必死になって働いた。

    毎日毎日働いた。
    やりたい事もせず、俺の事は置いといて何よりも妹のために頑張って働いた。
    こうして妹が高校を卒業して就職が決まり、その日は2人でささやかなお祝いをした。
    あの小さかった妹が、大きくなりこうして俺の前で笑ってる。
    俺は涙が出そうになった。

    その時、妹が、「ありがとう」と言うのが聞こえた。
    小さく小さく聞こえるかどうかの小さな声だった。
    本当にそう言ったたかどうかは分からないが、その時俺にはそう聞こえたんだ。

    そして妹が父の日だからとネクタイをプレゼントをしてくれた。
    俺は、なんで父の日にプレゼントなんだよ~って笑って聞いてみたら、「両親が亡くなって、代わりにここまで育ててくれたお兄ちゃんがお父さん代わり」なんだと。
    俺は嬉しかった。
    両親が亡くなり妹のために何も考えず必死に働いてたから・・・
    そういった心から嬉しがる事が無かったから非常に嬉しくて、トイレで妹に気付かれないように声を殺してクゥクゥ泣いた。

    ネクタイを締めて見せてくれとせがむ妹に、恥ずかしいからと必死に断わった事を今更遅いが悔やんでいる。
    何故あの時見せてやらなかったんだと。
    今でも妹のふくれっつらが目に浮かぶ。


    86 :名も無き被検体774号+:2012/05/09(水) 16:32:45.64 ID:cmISSP+e0
    132 :1:04/06/01 23:21
    妹が事故に遭ったとの連絡を会社で聞いた時、最初は何がなんだか理解できなかった。

    病院に駆けつけた時には既に息を引き取った後だった。
    眠るようにベッドに横たわる妹の顔見た時、俺は嘘だと思った。
    何でなんだと。
    両親が亡くなり兄妹離れ離れに暮らすはめになり、挙句の果てに親戚に盥回しにされ、邪魔者扱いを受けて暮らしていた妹。
    こんなにも不幸な暮らしを受けて生きてきた妹に、やっと見つかった幸せな日々。

    「お兄ちゃん、今まで見守ってくれててありがとう。私は十分幸せだから今度はお兄ちゃんが幸せになってね」と言ってくれていた優しい妹に、何でこんな仕打ちが有るんだと!!
    俺の幸せなんかお前の後で十分なのに、何でお前が先に逝くんだと・・・・・。
    何で両親だけじゃなく、たった一人の妹までこうなるんだと、俺は病室で妹の顔を見ながらそう思った。
    俺の幸せなんかお前の後で十分なのに、何でお前が先に逝くんだと・・・・・。

    葬式は俺の友人・妹の友人とその彼氏、あと優しくしてくれた親戚の者だけで静かに行った。
    たらい回しにした親戚も来ていて「残念な子を亡くしたね」と言った時に俺は怒った!激しく怒った!
    小さい頃に邪険に扱っておきながら何を今更と、何であの時優しくせずに今そんな言葉をかけるのかと。
    それを言うとその親戚達は何も言わずその場から離れた。
    今思えば少し言い過ぎたかもしれない。
    でも、その時優しくしてくれてれば、妹はもっとましな人生を送っていたかもしれないと思うと、黙ってはいられなかった。

    176 :1:04/06/01 23:47
    友人や親戚には言えないのでここで妹の事を少し話したい。

    妹は俺が病気の時に必死で看病してくれていた優しい子だった。
    妹は辛くっても中々俺に相談しない繊細な子だった。
    妹の高校の卒業式には両親の遺影と一緒に参加した
    ご飯食べて帰るなら連絡しろって言われた事を忘れて外で食って帰った時には怒られた。
    妹に怒鳴りつけて泣かせた事もあった。
    妹の帰りが遅いと怒り喧嘩になった。
    妹に彼氏が出来たと聞いて複雑な気持ちになった。
    妹が泣いてた時も一生懸命話を聞いてやった。
    妹との色々と書き込めないくらいの思い出が一杯有った。

    これからも喧嘩もしながら兄妹仲良く暮らして行きたかったけど妹はもう居ない。
    結婚の挨拶に妹の彼氏が来たら追い返そうと思ってたけど、それすらもう出来ない。
    それでも俺は当たり前の事だけど、これから妹の居ない生活を生きていかなければならない。
    妹の言葉通り精一杯生き、そして幸せになる事が妹への最高のはなむけになると俺は信じている。


    188 :1:04/06/01 23:53
    俺は無神論者だけどこれだけは言わせて欲しい。
    この世に神様が居るとしたら、あの世で妹が幸せで有る事を切に願う。
    来世でも妹に会え、その妹が人並みの幸せな暮らしがしていることを願う。
    今度生まれ変わってもまたあの頃と同じ家族で出会いたいと俺は願う。

    最後に俺の家族へのメッセージを言わせてください。

    お父さんへ
    「こんなに立派になりました。妹の事よろしく」

    お母さんへ
    「あなたの息子は精一杯生きています。先に逝った妹を可愛がってください。」

    妹へ
    「いろいろと迷惑かけたけど、安心してください。そちらに逝った時にはまた兄妹として仲良くしよう」

    最後になりますが皆さんへのメッセージを大きな声で言わせてください

    「ありがとう」


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  • 弟が学校帰りに床屋で丸坊主にしてきた 

    819 名前: なごむ [sage] 投稿日: 2011/02/04(金) 17:38:24 ID:tFfOjKTVO
    昔、当時中学生の弟が学校帰りに床屋で丸坊主にしてきた。
    失恋でもしたのかと聞いたら、小学校からの女の子の友達が今日から登校するようになったからだ、と。
    彼女は今まで病気で入院しており、薬の副作用で髪の毛が全部抜けてしまったらしい。
    「女が丸坊主じゃ恥ずかしいって言ってたし、だったら他にも丸坊主がいりゃいいかなと思って。
    野球部の奴等は元々丸坊主だけど、野球部じゃない丸坊主がいた方がいい」
    と弟は言っていた。

    翌日、丸坊主で登校した弟は帰宅するなり「同じ事考えた奴が一杯いた……」と。
    なんでも優等生から茶髪問題児を含め、クラスの男子全員が丸坊主かそれに近い頭になっており、
    病気の子と仲が良い女の子達までベリーショート、一人は完全な丸坊主になってたらしい。
    更に担任の先生(男性)まで丸坊主。
    丸坊主だらけの教室で、病気の子は爆笑しながら「ありがとうありがとう」と泣いたという。

    示し合わせたわけでもないのに、全員同じ事考える当時の弟のクラスに和んだ。
    ちなみに病気の子は今も健在、弟は意外に丸坊主が気に入ったらしく、それからずっと丸坊主。

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  • 和んだというか感謝した話 サンタクロース 


    663 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 10:46:23 ID:fGWhDPWF
    和んだというか感謝した話。

    中1の時、親の転勤でいきなりアメリカの学校に通う事になってしまった。
    中1で田舎の中学でやってた英語なんで「Hello,this is pen」のレベル。
    ひたすら「This is ○○」のレベル。
    コミュ力はある方だと思っていたが完全にお手上げ。日本人なんて学校で自分一人。
    ESLという英語が第一言語じゃない生徒の為のクラスへ入れられたんだけど、
    クラスのほとんどはヒスパニック。先生も授業中はほとんどスパニッシュ。アウェー感はんぱない。ここでも友達作りに失敗。
    ほかの授業も、周りは発言をどんどんして、グループワークをするっていうのに、ただ黙って小さくなってノートをとり続ける自分。ぼっちパネェ
    元々が友達が多かっただけに、孤独に耐えられずに学校で腹痛を起こすこともしばしば。

    そんな自分を見つけてくれたのは、サンタクロースだった。

    酔っ払ったサンタクロースを想像してくれたら良い。
    赤ら顔で顔中が真っ白な髭の先生。流石にサンタクロースほど髭は長くないんだけど、ビジュアル的にはそんな感じ。
    太った大きな赤ら顔のおじいさんで、いつも笑ってて、いつもジョークを言う先生だった。

    学校の隅で一人で弁当を食べてたある昼休み、サンタクロースがいきなりやってきて、「コニチワ」と挨拶してくれた。
    びっくりしてると、「コニチワ、ワタシは○○デス。アメリカ人デス。どうぞヨロシク」と拙い日本語で挨拶してくれた。
    ただびっくりした。
    人気者のサンタクロースは、自分には遠くて眩しい先生だったのに、今、目の前でたどたどしく挨拶してくれた。
    私も、ぼっちの寂しさで色々切羽詰ってたんだろう、驚く先生放置でぶわあああと涙流して号泣。
    おどおどするサンタクロースは、私の頭を撫でたり、抱き締めたり、擦ったり、あわあわと動揺。
    なんとか思い出した英語で「Thank you, Im so glad」と繰り返してた



    664 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 10:48:24 ID:fGWhDPWF
    それから、お昼休みはサンタクロースのオフィスに行くのが習慣になった。(オフィスは個人部屋。職員室がない)
    オフィスでサンタクロースは、よくホットチョコレートを出してくれた。
    そして言語力が必要になる歴史にさっぱりついていけていなかった自分に補習もしてくれた。
    ちょくちょく「ダイトウリョ」「ミンシュシュギ」とか日本語を挟んでくれる優しさが、また嬉しかった。
    多分、事前に私が詰まりそうな単語を調べていてくれたんだと思う。歴史以外の教科でも、いつでも快く助けてくれた。

    そして授業中のジョークに日本のことを色々取り入れてくれるようになった。
    サンタ「NYはしょっちゅうキングコングに攻撃されてるけれど、しょっちゅうUMAに攻撃されてる国があるんだよー。どこか分かる?」
    生徒「は?えーっと、・・・・やっぱりNY?」
    サンタ「ちがうよ、JAPANだよ、TOKYOだよ!ゴジラだよ!」って具合に。
    丁寧にゴジラの写真までプリントアウトしてきてくれたり、授業中に歴史DVDをみる時、ゴジラのPVをみせてくれたり。
    そうやって日本のことを色々と話題提供してくれたお陰で、クラスのみんなが私に親しみを覚えてくれて、仲間に入れてくれるようになった。
    サンタ「Helloは日本語でコニチワだよ、じゃ、○○(私)に言ってみよう、せーのっ」
    生徒「コニチワー!」とか。だからみんなが私をみつけると「コニチワ(・∀・)」って声を掛けてくれるようになった。
    だんだん、歴史のクラスに受け入れられていくのが分かった。そしてそのクラスメイトからの紹介でどんどん友達ができるようになった。
    そして一緒にランチを過ごす友達が沢山できて、やがてサンタクロースのオフィスから足の遠のいていった私を、
    サンタクロースは「ヨカッタネェ、ヨカッタネェ」って喜んでくれた。




    665 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 10:50:04 ID:fGWhDPWF
    そして卒業セレモニーで、“一番頑張った生徒”に選ばれて表彰される事になって、全シニアと保護者の前で短いスピーチをする事になった。
    そんな所だったんだけど、スピーチではもちろんサンタクロースの事を話した。
    自分がどれだけ不安だったか。どれだけさみしかったか。どれだけ嬉しかったか。どれだけ救われたか。どれだけ感謝しているか。
    サンタクロースには感謝してもしきれないし、受け入れてくれていったクラスメイトも大好きだということをスピーチした。
    サンタクロースと歴史クラスの仲間達が泣いてた。自分も泣いてた。
    アメリカの卒業式は沈黙で厳かで涙で・・・ってのじゃなくて、歓声あげて、バルーン持込で「WE LOVE MY ○○」とかいっぱいプレート持ってくるような派手なのに、
    自分のスピーチですすり泣く人が出て、自分も写真撮られているのにずるずる汚い顔で涙や鼻水たらしながらスピーチした。
    スピーチが終わると、サンタクロースが駆け寄ってきて、抱き締めてくれた。
    サンタクロースにも一言どうぞって事で、サンタクロースが私の話をしてくれた。


    最初、いきなり自分のクラスに英語の話せない生徒が入ってきてどうしよかと思ったとか。
    どうやって授業をしていけばいいのか不安だったこと。
    本当は中国人かと思ってたこと。一人ぼっちの私をとても心配していたこと。仲良くなりたかったこと。
    友達ができていくのをみる事ができて、本当に嬉しかったこと。


    私は、サンタクロースの、あの大きな腕や胸や抱き締められたときに胸にぶつかってくるようなお腹の大きさと暖かさを絶対に忘れないと思った。
    そして彼がいたから、今はアメリカの大学にも進学できた。本当に感謝している。
    感謝なんて二文字じゃ伝えられないくらい感謝している。
    サンタクロースは何も言わなかったけれど、ネットで日本のことを色々調べてくれた事も、
    心配してくれていたことも、一人の生徒としてとても愛してくれたことも、
    私に素晴らしい青春をくれたことも、全部全部忘れない。

    今でも、サンタクロースは、私のカミサマです。

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  • 【名作】嫁は妊娠中。もうすぐ八か月 

    512 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/09/24(水) 01:41:47
    嫁は妊娠中。もうすぐ八か月。
    西日の部屋で、ソファに座ってお腹を撫でてる嫁を見てたら、なんとなく言いたくなって
    後ろから抱き締めて「愛してる」って言った。

    ただ、俺の嫁、ろう者なのね。なんも聞こえないの。わかんないの。

    わかんないはずなの。
    でも、嫁、振り返って

    手話で
    《わたしも》
    って言ってくれた。

    俺、明日もがんばれるわ。
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  • 私を大学に通わせてくれた母へ 

    5 :名も無き被検体774号+:2012/05/07(月) 10:20:37.45 ID:GnEp5QI60
    私を大学に通わせてくれた母へ

    あなたは私を産むまでずっと父の暴力に苦しんでいましたね
    私が産まれて時、あなたは泣きながら喜んだんですね
    私が一歳の誕生日に、借金を抱えたまま父が自殺しましたね
    借金を返すために昼はパート夜は居酒屋で仕事の毎日でしたね
    保育園では遠足のおやつは雑穀のおはぎでしたね
    小学校の給食費を払えない月もありましたね
    修学旅行のおみやげはご当地キーホルダーだけでしたね
    中学の制服は親戚のおさがりでしたね
    高校のお弁当はいつもご飯に梅干しと海苔でしたね

    無理を承知で大学行きたいと頼んだ時、あなたは反論しませんでしたね
    ごみ処理場から捨てる予定の参考書をもらいに行きましたね
    お金がかかるから私立は受けられず、国立専願受験でしたね
    センター試験の前日には初めて特上寿司を食べさせてくれましたね
    センター試験に失敗したけど、あなたは最後まで諦めないよう励ましてくれましたね
    前期に落ちて、一度私は自殺しかけましたね
    あなたは怒ることもなく、ずっと私に謝り続けていましたね
    私もあなたにずっと謝り続けましたね
    そして私は気持ちを切り替えて後 私はその後も頑張って勉強して、なんとか後期に合格することが出来ましたね あなたはずっと「おめでとう、おめでとう」と泣き続けてくれましたね

    でもあなたは入学の準備の時に急に倒れて病院に運ばれましたね 医者が、癌が全身に転移していてこれから一週間が峠だと告げましたね
    私がただただ泣き続けている時にあなたは「この体の傷や癌の一つ一つがあなたを育てあげた立派な勲章なのよ」と微笑みながら言いましたね あなたは最後まで泣くことも苦しむこともなく、静かにこの世を去りましたね

    今私は医者になるために毎日一生懸命に勉強していますよ あなたの命を奪った癌に苦しむ人々を治療して助けたいから
    私が育った環境は決して恵まれてはいなかったけれど、あなたに生まれ、育てられて本当によかったよ

    ありがとう、お母さん
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