http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1218182827/
【社会】 タモリ「人生初の弔辞があなたへのものとは…」…赤塚不二夫さんへの8分間の弔辞の紙、実は白紙だった?(全文掲載)★2
1 :☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★[]2008/08/08(金) 17:07:07 ID:???0
★タモリさん弔辞、手にしていたのは白紙?
・7日営まれた赤塚不二さんの葬儀で、タモリさんが弔辞を述べた際、手にしていたのが
白紙だったのではないかと、テレビやネットで話題になっている。タモリさんの弔辞は、
約8分にわたる感動的なものだったが、映像を見ると、何も書かれていないようにもみえる。
所属事務所は「ご想像にお任せします」としている。
http://www.asahi.com/national/update/0808/TKY200808080200.html
(リンク切れ)※画像:
http://www2.asahi.com/national/update/0808/images/TKY200808080203.jpg ※弔文全文
弔辞
8月の2日にあなたの訃報に接しました。
6年間の長きにわたる闘病生活の中で、
ほんのわずか ではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。
われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第一世代と言っていいでしょう。
あなたの今までになかった作品やその特異なキャラクター。
私たち世代に強烈に受け入れられました。
10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。
何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して、
九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーで、
ライブみたいなことをやっていたときに、
あなたは突然私の眼前に現れました。
その時のことは 今でもはっきりと覚えています。赤塚不二夫が来た。
あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。
この突然の出来事で、重大なことに私はあがることすらできませんでした。
終わって私のところにやってきたあなたは
「君はおもしろい。お笑いの世界に入れ。
8月の 終わりに僕の番組があるから、それに出ろ。
それまでは住むところがないから、私のマンションに居ろ」と、こう言いました。
自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を
この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。 (>>2につづく)
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20080807-393012.html
※前:http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1218161004/ htm dat
5
:☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★[]2008/08/08(金) 17:07:46 ID:???0
(>>1のつづき)
それから長いつきあいが始まりました。
しばらくは毎日、新宿の「ひとみ寿司」というところで
夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、
いろんなネタを作りながら、あなたに教えを 受けました。
いろんなことを語ってくれました。
お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと、
ほかのこともいろいろとあなたに学びました。
あなたが私に言ってくれたことは、
いまだに私にとって金言として心の中に残っています。
そして仕事に生かしております。
赤塚先生はほんとうに優しい方です。シャイな方です。
マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると、
相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。
あなたがマージャンで勝ったところを見たことがありません。
その裏には強烈な反骨精神もありました。
あなたはすべての人を快く受け入れました。
そのためにだまされたことも数々あります。
金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。
しかしあなたから後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。
あなたは私の父のようであり、兄のようであり、
そして時折見せる、あの底抜けに無邪気な笑顔は、
はるか年下の弟のようでもありました。
あなたは生活すべてがギャグでした。
たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも、
目からはボロボロと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんのひたいをピシャリと
たたいては「この野郎、逝きやがった」とまた高笑いしながら、
大きな涙を流してました。
あなたはギャグによって物事を無化していったのです。
あなたの考えは、すべての出来事、
存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。
それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、
軽やかになり、また時間は前後関係を 絶ちはなたれて、
その時その場が異様に明るく感じられます。
この考えをあなたは見事にひとことで言い表してます。
すなわち、「これでいいのだ」と。 (>>3につづく)
8 :
☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★[]2008/08/08(金) 17:08:06 ID:???0
(>>5のつづき)
いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い浮かんでいます。
軽井沢で過ごした何度かの正月。伊豆での正月。
そして海外へのあの珍道中。
どれもが本当に、こんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。
最後になったのが、京都五山の送り火です。
あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、
一生忘れることができません。
あなたはいまこの会場のどこか片隅で、ちょっと高いところから、
あぐらをかいて、ひじをつき、ニコニコと眺めていることでしょう。
そして私に「おまえもお笑いやってるなら、弔辞で笑わしてみろ」
と言ってるに違いありません。
あなたにとって死もひとつのギャグなのかもしれません。
私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは、
夢想だにしませんでした。
私はあなたに生前お世話になりながら、ひと言もお礼を言ったことがありません。
それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、
お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。
あなたも同じ考えだということを他人を通じて知りました。
しかしいまお礼を言わさしていただきます。
赤塚先生本当にお世話になりました。ありがとうございました。
私もあなたの数多くの作品のひとつです。
合掌。
平成20年8月7日 森田一義
赤塚不二夫の死
2008年8月2日、タモリのコメディアンとしての才能を見抜き、
地元・福岡から上京させて、自宅マンションに居候までさせた赤塚不二夫が亡くなった。
死去の2日後に事務所を通じて追悼のコメントを発表し、
「物心両面の援助は肉親以上のものでした」と赤塚の死を悼み、感謝の言葉も載せた。
また、同年8月6日の赤塚の通夜、及び8月7日の葬儀・告別式に参列し、告別式では「私もあなたの数多くの作品の一つです。」との弔辞を読み上げた。この弔辞は7分56秒にも及ぶものであり、手にしていた紙を何度も見ながら読んでいたが、実際には紙は白紙だったとの報道が一部でなされ、タモリは勧進帳のギャグであったと語っている。タモリ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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